死ぬときは死にます。 死なない時はありません。
身体を持って生まれた以上、例外なく、必ず身体を脱ぐ時が来ます。 これは恐怖の話ではなく、ただの事実です。
どうか、この事実から目をそらさないでください。 死から目をそらすと、生きることからも目をそらしてしまいます。
そしてそれは、生ききれなくなるということでもあります。
死を見ないまま生きると、生は薄くなる
多くの人は、死について考えないように生きています。
- 縁起が悪いから
- 怖くなるから
- 今は関係ないと思いたいから
しかし、死を遠ざければ遠ざけるほど、生はどこか他人事になります。
本当はやりたいことがあるのに先延ばしにする。 本当は伝えたい言葉があるのに飲み込む。 本当は今しかないと分かっているのに、惰性で生きてしまう。
それは「生きていない」のではなく、生きることに深く触れられていない状態です。
死ぬまで、どうやって生きるか。 それを考えることから、生は本当の意味で始まります。
宇宙的観点から見る死|身体を脱ぐだけのこと
宇宙的な観点からすると、死は悲しいことでも、辛いことでもありません。
亡くなった方は、身体を脱いだだけです。
例えるなら、車からドライバーが降りた状態。 車(身体)は役割を終えますが、ドライバー(意識・個性エネルギー)は存在し続けます。
身体は一時的な乗り物です。 だから、身体を持って生まれた以上、必ず降りる時が来ます。
自分が死ぬと決めた時に、人は死ぬ
死は事故や病気だけで起こるものではありません。
深いレベルでは、人は自分が死ぬと決めた時に死にます。
それは意識的な判断ではなく、魂・意識の深層での選択です。
自分が死ぬと決めたとき、人は生きることへの執着を手放します。 だからその瞬間、死に対して何も感じなくなります。
恐怖も、抵抗も、後悔も薄れ、 ただ「脱ぐ」タイミングが来た、という感覚に近くなります。
身体を脱ぐ瞬間は、苦しみではない
身体を脱ぐとき、意識は極端な苦しみの中に放り込まれるわけではありません。
多くの場合、快楽ホルモンが分泌され、夢を見ているような感覚になります。
ふわっと意識が緩み、現実の輪郭が溶け、 気持ちよく、静かに身体を脱いでいく。
それは罰でも試練でもなく、移行のための自然なプロセスです。
死後、人はどこへ行くのか
死後、人はバラバラな世界へ飛ばされるわけではありません。
みんながいるところへ帰ります。
それが、絶対無限の存在です。
そこは個として分離された世界ではなく、 すべてが溶け合い、つながっている領域です。
過去性・カルマ・輪廻転生は存在しない
この視点では、個別の過去性やカルマ、輪廻転生といった概念はありません。
それらは、支配者の作り話です。
本来は、罰も清算もやり直しもありません。
ただ、体験があり、遊びがあり、そして戻る。
それだけです。
身体を脱いでも、あなたは何も変わらない
身体を脱いでも、あなたは消えません。
あなたは存在します。
名前や役割、肩書きは変わっても、 あなたという意識そのものは失われません。
だからこそ、この人生は「修行」ではなく、遊びです。
地球は遊び場|だから生ききってほしい
あなたは地球に遊びに来ました。
正解を出すためでも、我慢するためでも、 誰かの期待に応えるためだけに来たのではありません。
感じるため、体験するため、遊ぶために来た。
どうせ、最後には身体を脱ぎます。
ならば、どうか生ききってください。
失敗してもいい。 遠回りしてもいい。 意味が分からなくてもいい。
それも含めて、遊びです。
まとめ|死を忘れないことが、生を深くする
- 死ぬときは死ぬ
- 死なない時はない
- 自分が死ぬと決めた時に死ぬ
- 死は進化であり移行
- 身体を脱いでも、あなたは存在する
死は敵ではありません。
死は、生を照らすための前提条件です。
必ず終わるからこそ、今を生きる。
必ず脱ぐからこそ、遊びを楽しむ。
それが、この地球での生き方です。

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