私たちは、困ったときや不安なとき、自然と「神様、仏様…」と心の中でつぶやきます。 それは弱さではありません。人としてとても自然な反応です。
けれど、ここで一度だけ立ち止まって考えてみたいのです。
神様や仏様は、本当に外側に実在する存在なのでしょうか。
この記事は、ミナミAアシュタールの書籍、ブログ、動画で、 私自身が感じ、理解したことをもとにまとめたものです。 信じることをやめさせたいわけではありません。 ただ、「信じる前に知っておくと、人生の主導権が自分に戻る視点」があると感じました。
結論:神様・仏様・悪魔・天使は「実体」ではなく「概念」
結論から言うと、神様、仏様、悪魔、天使と呼ばれてきたものは、 外側に「実体」として存在する存在ではなく、 人間の認識と支配構造の中で生まれた概念だと捉えています。
概念は安心を与えます。 でも同時に、思考を止める力も持っています。 「考えなくていい」「疑わなくていい」「従えばいい」。 こうして人は、自分の感覚よりも外側の権威を優先するようになります。
神様 仏様の正体は「重い波動領域の宇宙存在」として語られてきた
私の理解では、神様や仏様として語られてきた権威の背景には、 宇宙的な視点でいう「宇宙存在」の影響が混ざっています。 その中心にいる存在として語られるのが、レプタリアンです。
レプタリアンは、人間を支配・コントロールするために、 自分たちを神と名乗り、宗教という仕組みを作った。 宗教は救いの形をとりながらも、 管理しやすい思考状態を作る装置として機能していった、 という世界観です。
なぜ支配は「波動を重くする」のか
支配に使われる感情は、とてもシンプルです。 恐怖、不安、罪悪感。 これらの感情が強くなると、人は考えなくなります。
考えなくなると、自分で選ばなくなります。 選ばなくなった状態は、支配されやすい状態です。 つまり、支配構造とは、 人の感情を重くし、思考と選択を止める仕組みなのです。
これが「重い波動」と呼ばれる状態です。 誰かが悪いというより、そういう仕組みが作られてきた、ということです。
最初は姿を現し、次に「姿を消して」支配した
レプタリアンたちは最初、人間の前に姿を現して支配していたとされます。 しかし、人間の中に疑問を持つ者、反抗する者が現れ始めました。
そこで彼らは姿を消します。 見えない存在になることで、人は不安になります。 正体がわからないものほど恐怖は強くなり、 その恐怖の上に「神」という概念が置かれました。
こうして宗教が生まれ、 恐怖と救済がセットで語られる構造が出来上がっていきました。
宗教が問題なのではなく「固定化」が問題
ここで大切なのは、宗教そのものを悪としないことです。 最初は、気づきや体験から始まったものが多かった。
しかし、人が増え、社会が広がるにつれて、 教えは管理しやすい形に整えられ、固定化されていきます。 固定化された瞬間、教えは自由を失い、 「正解」と「不正解」を生み始めます。
なぜ人は神様を必要としたのか
人は不安なとき、答えを外に置きたくなります。 自分で選ぶのは怖い。 失敗したくない。 だから「正しい答え」をくれる存在を求めます。
それは弱さではありません。 人として自然な反応です。 ただ、その心理が支配構造と結びついたとき、 人は自分の感覚を手放してしまいます。
ドラコニアンと波動の高い価値観
一方で、人間の中には超感覚を持って生まれてくる人がいます。 そうした人々は、高次元の存在であるドラコニアンとつながり、 波動の高い価値観や在り方を受け取ってきました。
しかし、それらの教えも支配構造と混在し、 聖書や古事記など古い文献の基となっていきます。 愛と恐怖が混ざった理由は、ここにあります。
キリスト・ブッダ・織田信長の共通点
キリスト、ブッダ、織田信長は、 高次元の存在とつながることができた人物でした。 しかし、その体験は後世で利用され、 宗教という形に固定されていきました。
絶対無限の存在も神ではない
さらに言えば、絶対無限の存在も神ではありません。 崇める対象ではなく、溶け合う在り方に近いものです。 上下や支配の構図は、そこには存在しません。
信じる前に大切にしてほしい「違和感」
神様や仏様を信じることが問題なのではありません。 大切なのは、信じる前に浮かぶ違和感を無視しないことです。
その違和感は、 支配から離れ、自分の波動へ戻るためのサインです。
まとめ:外の神より、内なる感覚へ
神様 仏様という物語から少し距離を置いたとき、 人は自分の感覚を取り戻します。 恐怖ではなく、選択。 服従ではなく、共振。
この文章が、あなた自身の波動へ戻るきっかけになれば幸いです。

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