「うちの子、反抗期がなくて…これって逆にこわいですよね?」
そんな不安を抱いて、このページにたどり着いた方も多いかもしれません。
一般的には「反抗期はあったほうがいい」「反抗期は成長の証」という説が主流です。
その一方で、現実には反抗期らしい反抗をほとんど経験せずに、大人になっていく人たちもいます。
本記事では、「反抗期のないおそろしさ」というキーワードからスタートしつつ、
最終的には、反抗期はあるよりも、ないほうが良い場合もたくさんあるという結論にたどり着きます。
「反抗期はあったほうがいい」という定説
子育て本やネット記事では、こんなフレーズをよく目にします。
- 反抗期は自立への通過儀礼
- 反抗期がないと、自己主張できない大人になる
- 親に反抗できない子は、あとで一気に爆発する
たしかに、こうした側面もあります。
「イヤだ」「やりたくない」「自分はこう思う」という気持ちを親にぶつけることで、子どもは自分の輪郭を確かめていきます。
だからこそ、「反抗期がまったくない」と聞くと、
- 気持ちを我慢しているのでは?
- 親の顔色をうかがって生きているのでは?
- 大人になってから一気に崩れるのでは?
といった「おそろしさ」を感じるのも、ある意味とても自然なことです。
本当に“おそろしい”のは「反抗期がないこと」ではない
ここで、いったん視点を変えてみましょう。
本当におそろしいのは、「反抗期がない」という“現象”そのものではありません。
問題は、その裏側にある「理由」です。
① 表面上は反抗期がない=“いい子”の仮面タイプ
まず、本当におそろしいのはこのパターンです。
- 本当はイヤでも「うん」と言ってしまう
- 親の機嫌を損ねないことが最優先になっている
- 自分の気持ちよりも、周りの期待を優先することに慣れている
このタイプは、反抗したい気持ち自体はあるのに、ぐっと飲み込んでいるだけのことが多いです。
つまり、「反抗期がない」のではなく、「反抗を表現できない」状態です。
この場合はたしかに、後になってから
- 急に親との関係がこじれる
- 自分の意見が言えず、仕事や人間関係で苦しくなる
- 「自分が何をしたいのかわからない」感覚に陥る
といった形で、本当の「おそろしさ」が表面化しやすくなります。
② そもそも“反抗する必要がない”タイプ
一方で、もうひとつまったく別のパターンがあります。
それが「反抗という形をとる必要がないほど、日常的に本音が言えている」状態です。
例えばこんな親子関係です。
- 普段からよく会話をしている
- 「こう思う」「それはイヤ」が比較的言いやすい
- 親も「親だから正しい」とは限らない、というスタンスでいる
- 子どもの意見を一度受け止めてから話し合う
このような関係では、
「今まで聞いてくれなかった親に対して、一気に爆発して反抗する」
という形をとる必要が、そもそもあまりありません。
この場合の「反抗期がない」は、 「感情を抑え込んでいるから出ない」のではなく、「普段から出せているから、あえて反抗という形にはならない」 という、まったく別物の現象です。
ここにこそ、本記事の結論につながる重要なポイントがあります。
反抗期は「あるより、ないほうがいい」ケースとは?
では、どんなときに、「反抗期はあるより、ないほうがいい」と言えるのでしょうか。
ポイントはたったひとつです。
「子どもが、安心して本音を出せているかどうか」
◎ 反抗期がなくても大丈夫な子の特徴
次のような様子が見られるなら、いわゆる「激しい反抗期」がなくても、むしろとても健全だと言えます。
- 嫌なものは「イヤ」と言える
- 親と意見が違っても、話し合いができる
- 納得できるまで質問したり、確認したりしている
- ふだんからよく笑っていて、リラックスした表情が多い
- 親の前でも、友達の前でも、あまりキャラが変わらない
こうした子どもは、「反抗」という激しい形を取らずに、自分の輪郭や主体性を育てているとも言えます。
この場合、無理に「反抗期らしい反抗」を期待する必要はまったくありません。
◎ 反抗期が「ないほうがよい」理由
あえて言葉を選ばずにまとめると、
- 本音を出せる関係なら、「爆発」はいらない
- 衝突やケンカが少ないほど、心の傷も少なくて済む
- 反抗という“戦い”よりも、「対話」で自分を育てていける
つまり、「激しい反抗」をしなくても、じゅうぶんに自立と成長は起こるのです。
その意味で、条件付きではありますが、「反抗期はあるより、ないほうが良い」ケースは確実に存在します。
親としてできること|「反抗期がない」不安との付き合い方
それでもやっぱり、「反抗期がないと、将来なにか起きるのでは?」という不安は消えませんよね。
ここからは、親としてできる具体的な関わり方をまとめます。
1. 「反抗の有無」より「日々の本音」に注目する
反抗期があるかないか、という「イベント」の有無だけを見るのではなく、
日々の会話の中で、どれくらい本音を言えているかに目を向けてみましょう。
- 子どもの表情はどうか(緊張していないか)
- イヤなときに、ちゃんとイヤと言えているか
- 「本当はどうしたい?」と聞いたとき、答えが返ってくるか
これらがある程度できているなら、たとえ“典型的な反抗期”がなくても、心配しすぎる必要はありません。
2. 親も「完璧な正解」を手放してみる
「こう育てるべき」「反抗期はこうあるべき」といった「べき論」が強すぎると、
親自身も、子どもの姿をその「型」に無理やり当てはめたくなってしまいます。
そこで大事なのは、 「この子はどう感じているんだろう?」と、
一人の人間として興味を向けることです。
正しさよりも、対話と理解を意識してみる。
それだけでも、子どもの心はずっとのびのびと呼吸しやすくなります。
3. 「いつでも戻ってきていい場所」になる
たとえ思春期に目立った反抗がなかったとしても、
子どもは人生のどこかで、壁にぶつかることがあります。
そんなときに、
- 「あのとき言えなかったけどさ…」
- 「実はずっとこう思ってたんだよね」
と、後出しでも本音を持って帰れる場所があるかどうかが、とても大切です。
親が「いつでも話を聞くよ」というスタンスでいること自体が、
子どもにとっての大きな安心感となり、
「爆発的な反抗」に頼らずに、自分を立て直せる力へとつながっていきます。
まとめ|「反抗期がないこと」は悪ではない。大事なのは、本音が生きているかどうか
最後に、本記事のポイントを整理します。
- 「反抗期がない」こと自体が、おそろしいわけではない
- 本当にこわいのは、「本音を飲み込み続けてしまうこと」
- 日常的に本音を言えているなら、激しい反抗期は“なくていい”
- 親子で対話ができていれば、反抗は「爆発」ではなく「相談」や「話し合い」という形になる
つまり、結論としてこう言えます。
反抗期は「あるべきもの」ではありません。
子どもが安心して本音を出せているなら、激しい反抗期は、むしろないほうがいい。
「反抗期のないおそろしさ」という言葉に不安を感じたあなたも、
どうか「反抗の有無」だけで、わが子の未来をジャッジしないでください。
それよりも、今日のたったひと言の会話を、少しだけ本音に近づけてみる。
その積み重ねこそが、
反抗期があってもなくても、その子らしい人生へとつながる一番確かな道なのだと思います。

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